今回のコースは近鉄東生駒駅をスタート(午前10時)➡往馬(いこま)大社➡竹林寺➡行基墓➡忍性墓➡歓喜の湯(足湯)➡上田酒造➡近鉄生駒線・一分駅までの約8㎞の行程でした。
汗ばむほどの素晴らしい快晴に恵まれ、参加者(18名 男10名 女8名)全員元気で踏破しました。
先ず最初に向かったのは往馬大社(いこまたいしゃ)です。
◎往馬大社(いこまたいしゃ) 創立年代は定かではないが、生駒谷一七郷の氏神としてこの地に鎮座。 奈良県内では大神神社、石上神社と同様に神奈備(生駒山)をご神体として祀られた日本有数の古社。神社の境内を覆う鎮守の杜は奈良県の天然記念物として太古から変わらぬ自然の森を今に守り伝えられている。
◎竹林寺 生駒市有里町にある律宗の寺院。奈良時代の僧・行基の墓があることでしられている。山号は生馬山。本尊は文殊菩薩騎獅像。境内の建物は本堂と庫裏だけの小さい寺院であり、完工寺院ではない。基本的に無住だが毎月2日(行基の命日)に唐招提寺の僧侶が法要を行いその時だけ開扉している。行基が壮年期に営んだ小庵がのちに寺院とされたものとされる。堂内には本尊・文殊菩薩騎獅像と行基菩薩像が安置されている。
◎行基墓
行基は飛鳥時代から奈良時代にかけて活躍した日本の仏教僧。朝廷が寺や僧の行動を規定し、民衆へ仏教を直接布教することを禁止していた当時、その禁を破って行基集団を形成し、畿内(近畿)を中心に民衆や豪族など階層を問わず広く仏教を説いた。併せて困窮者の救済、社会事業を指導した。朝廷から度々弾圧を受けたが民衆の圧倒的支持を得、その力を結集して逆境を跳ね返した。その後、大僧正(日本で最初)として聖武天皇により奈良の大仏(東大寺)造立の実質上の責任者として招聘された。この功績により東大寺の「四聖」の一人に数えられる。平城京菅原寺において82歳で没。
◎忍性墓
鎌倉後期の律僧、社会事業家。房号は良観。城下群屏風里に生まれ幼児信貴山に文殊菩薩に帰依する。額安寺剃髪。その後、唐招提寺の覚盛に戒律を学び叡尊に従って西大寺に住う。北山宿における救らいをはじめ慈善救済に努めた。
律書を遠く中国宗に求め、戒律の復興を図る。その後関東に下向し常陸(茨城県)清涼院に住み戒律を講じた。北条重時一族の支援を受け鎌倉極楽寺を中心に
戒律の復興を図り、西大寺流の発展に尽くした。また、非人の統制をはじめ療病所や馬病舎を設けるなど社会救済事業の推進を図るとともに、寺院経営、出版事業にも手腕を発揮し「生身の如来」と称されたが、日蓮からは「律国賊」の張本として激しく排斥された。87歳で没。
◎上田酒造
室町時代の1558年(永禄元年)創業の400有余年の歴史を誇る老舗酒造です。生駒の名水と良質の国産米により上質の酒を丹念に造り続けている。
生駒の長ならんとの思いからつけられた「生長」と嬉しいことが長く続くように名付けられた「嬉長」が代表的な銘柄です。
途中、歓喜の湯の足湯で足の疲れを癒し最後の立ち寄り場所・上田酒造で酒蔵見学と新酒の試飲を楽しみました。午後2時一分駅で解散しました。(渡真利)